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誕生日: 1940年 2月 15日

1行紹介

単なる不満分子で終わりたくない、とモガク中年です

自己紹介文

 1940年東京生まれ。戦争が終わるまで2回の疎開を経験し、あの東京空襲のあと埼玉の疎開先で育つ。 1958年品川の東京通信工業で働くようになり、60年安保も体験した。
 1964年に相模原市の新戸向出口という地域に新居を構え、その後住居の表示か変わったけれど小田急相模原駅の北側に住み続けています。
 1990年に頚椎症性頚隋髄症で手術を受け、その後、腱反射亢進がすすみ歩行しにくい症状になる。
脳梗塞を体験し数年間にわたり右半身麻痺と言語障害深部体幹機能不全という聞きなれない障害に陥る。
 1998年に仕事を離れてリハビリをしながら地域の様子を知ろうと努めた。相模原南部の歴史資料を探したり古老に聞いて回っているうちに、大変な街にすんでいることが判ってきた。
 2000年に年金生活となり、住んでいるまちの歴史を調べ、街づくりを考えるようになり、南台にある米軍家族住宅の存在が交通体系に大きな障害であり、座間基地との間を往復するアメリカ軍人や軍属・家族の車が歩道も整備されていない道を走っていて事故がおきていることを知る。基地の全面返還を求める運動が繰り広げられるなか、障害者としてこの地で生きるとすれば、基地の問題を解決していくことに余生を活用できないかと考えて、まずはブログで交流してみようと・・・、以上がブログ参入にあたっての自己紹介です。
 2006年、靖国派で固めた安倍改憲内閣が生まれた。それ以来、国民の頭脳を戦前型に切り回そうと教育基本法を作り変え、改憲を標榜し、教科書検定を使って沖縄での集団自決に「日本軍の関与はなかった」とか、「従軍慰安婦はなかった。あれは公娼制度だった」など、天皇の軍隊がひどいことをしてきたことを「無」にしようと、歴史を捻じ曲げてしまった。
 安倍晋三内閣は、戦後体制のうち、対米従属だけは残して、天皇制を組み立てなおすことをかくさくしている。
 大変な時代がやってくる、と本気で心配な戦中派です。