2007年8月18日 (土)

反戦、非戦、不戦

安倍首相は「不戦」と言っていたが

広島市長のメッセージは「反戦」と聞こえ、二人の小学生(森さんと山崎さん)は「私たちは、あの日苦しんでいた人達を助けることは出来ませんが、未来に人達を助けることは出来るのです」と「非戦」の言葉を述べた。

これに対し、安倍首相の弱弱しきこと。(あきさん)

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2007年8月15日 (水)

62回目の敗戦を迎えて

「終戦」ではなく、「敗戦」の日では?

どのメディアも「終戦の日」と表現していました。日清と日露の戦争が終わったときは「終戦」ではなく「戦勝」の日でした。

日中戦争から第2次世界大戦にいたる戦争は、中国とアジア、アメリカへの侵略戦争でした。大義内戦争だったと思います。

この戦争が終わったとき、国民は「戦争が終わってよかった」、「戦争は嫌だ」と言えるようになったのです。戦中には、この言葉は禁じられており、反戦ではなく嫌戦であっても、見つかれば非国民として投獄されていました。

あの戦争が終わって、やっと、空襲警報がなくなり、夜の食卓も明るい電灯の下で、明るく笑って囲むことが出来ました。

戦後、私が中学生のときに、父親に「なんで戦争に反対しなかったのか」と、やや詰問のように聞いてみました。 ただ一言、「気が付いたときには遅かった。隣の人に言ったとすればすぐに憲兵がきて、ブタ箱にぶち込まれた」

戦争とは、たとえ自衛のためだと思っても、「攻撃は再亜大の防御」の論理で、他国を打倒するから、いまの憲法9条ほど周りの国に安心を与えることができる、と思う。

今の平和な状態は、侵略戦争に敗れ、侵略戦争を反省して、はじめてもたらせれたものなのです。侵略者を追い出して戦争が終わったのではないこと、敗戦の意味をかみ締めるひだと思うのです。(あきさん)

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2006年7月28日 (金)

21世紀を戦争を終わらせる時代に

朝のNHKのドラマで描いていることは嘘ではないです

 戦争は人の命を奪う行為です。そして、国民が普通の暮らしが出来ない状態になることです。朝のドラマは戦前の実際を切り取っているのです。国内の描写で、戦地の様子はでてきませんが。

 アメリカは「テロとの長い戦争を戦っている」と言いますが、アメリカがイラクへの侵略をはじめなければ、「イラク国外から武装勢力の侵入もなかった」、「宗派間の対立もなかった」と思います。

 国連による査察が行なわれて「大量破壊兵器は見つかっていない」時期に、「フセインは大量破壊兵器を保有している」と米英軍が侵攻した。これは、イラクの石油埋蔵量に着目したアメリカの当初からの「狙い」だから、力づくというのは当然かもしれません。

 いま北朝鮮のミサイル発射が、「日本を標的にしている脅威」や、竹島問題を「軍事占領だ」力づくで追い出せ」などという主張が目に付きます。

 しかし、「北朝鮮を6カ国協議の場に着かせる」ことで解決の方向を見出そうと国際的な努力が行なわれています。金正日がアメリカと2国間交渉をしたいというメッセージとしてミサイルを発射したということは事情通の見方は一致しているようです。

 世界随一の軍事力をもつアメリカは、なぜ北朝鮮との交渉を渋るのでしょうか。
唯一の超大国となって以来のアメリカは、交渉でことを解決しようとは考えていないようです。外交の代わりに力づくがまかり通っています。

 イスラエルはアメリカの支援の下でレバノンへ攻撃を行なっています。ロイター通信によると、「イスラエル軍がいままでに見た事もない被害を及ぼす兵器を使っている」の医師団の証言があるといいます。南部の国営病院長は「過去の戦争で見たこともないような異常な焼け方をした遺体がある」、「遺体は通常の半分くらいの大きさに縮んでいる」と。
 レバノンのラフード大統領は「イスラエルは白リン弾(化学兵器)を使っている」と告発している、とロイター通信は伝えています。

 このように「平和的な外交」ではなく、「力づくの外交」は、より強く相手を痛めつけるやり方に突き進んでいきます。

 27日にクアラルンプールでひらかれた、ASEAN拡大外相会議(アセアン10カ国+日本、米国、中国、ロシア+EU)は、アセアンとその他の個別会議も行なわれていました。
ここでは、様ざまな課題を討議したそうです。それは「力づくでない対話」、「協調を前提とした討議」が行なわれたと伝えられています。詳報は避けますが、ASEANのやり方に21世紀の日本が進む道があるように思うのですが。(あきさん)

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2006年7月18日 (火)

侵略戦争否定の原点は

昨年の11月の国連総会は

 「第2次世界大戦終結60周年を記念する決議」を採択しました。そしてナチス・ドイツが無条件降伏した5月8、9日を「記憶と和解の日」として毎年記念する事を各国に呼びかけました。

 一連の記念行事を通じて「ファシズムと侵略戦争の否定」という戦後の原点が確認され、戦争の責任が明確にされたのではないでしょうか。

 アメリカの下院も昨年7月に、世界大戦終結60周年の決議を採択し、「極東国際軍事裁判の判決と、人道に対する罪を犯した戦争犯罪人への有罪判決を再確認する」ことを明記しました。

 日本の総理大臣は「アメリカに従っていればアジア諸国はおのずと日本に従ってくる」というような言説と、「不戦の誓い」と偽って靖国神社に参拝して中国や韓国と東アジアの人々の心を逆撫でする行動をとっています。
 
 しかし、靖国神社の戦争観は先の戦争を侵略戦争と見ることに反対し、「自存自衛の戦争」であり「アジア解放の戦争」であると主張しています。総理の言動は戦後の出発点そのものを否定しています。

 「侵略戦争否定」の原点は

 総理は過去の日本の戦争を「侵略戦争でなかった」という「否定」です。
 これは「侵略戦争を否定」する、平和の立場に立って過去を深く認識して反省し、「東アジア諸国との歴史認識を共有」 して平和の歴史を作っていくことに逆らうものではないでしょうか。

 日本の憲法9条を高く掲げながら、同時に「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」(GPPAC)が、昨年7月に国連本部で118カ国のNGOが集まって採択した「世界行動宣言」に書き込まれた『日本の憲法9条をアジア太平洋地域全体の集団安全保障の土台』という評価をかみ締めてみることが大切だと思うのです。

 いまの政権がすすめている「軍備による近隣諸国への抑止」では平和なアジアの連携を作ることは出来ないと思います。

 このように書くと、「中国のチベット侵略を見るべきで、中国の侵略政策に無防備では日本の安全は守れない」と主張される方がいます。 チベット問題は調査研究中ですが、今のところでは、それを以って「日本への侵攻の危険がある」と結論することには無理があるように思われます。(チベット問題は多くの資料があり、引き続いて研究しています)

 しかし先の安保理では『北朝鮮のミサイル発射への非難』が全会一致で採択されました。国連機構での一致点を追究することは外交活動の基本だと思います。
 「3年前にアメリカとイギリスは国連の一致が得られそうもないと見ると安保理を無視して、有志連合でイラクを攻撃した」ような単独主義の危険は、「中国の政策にはない」と見てよいのではないでしょうか。

 アメリカはつい先日も「パレスチナ・ガザ地区へのイスラエルの攻撃を止めさせる決議案」にも拒否権を行使して不採択にしています。(安保理では9カ国の賛成で採択されますが、常任理事国が一つでも拒否権を行使すれば不採択になります。このときは10カ国が賛成でした。)
 こうしたアメリカの単独主義に従っていくことの方が危険だと思うのですが。

 私の考えは間違っていますか?(あきさん)

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2006年7月15日 (土)

「歴史をから学ぶ」とは

昨年は日本、ドイツ、イタリアの敗北から60年でした

 日本の首相は、最近でも、あの戦争が「侵略戦争であった」事を否定している靖国神社への参拝を当然視した発言を行なっています。

 ドイツのシュレーダー首相は、フランスやチェコ、ポーランドなどの首都で開かれた記念行事に出席してナチスの犯罪的な行為を謝罪しており、ワイマール郊外にあるブーヘンワルト強制収容所解放60年式典で次のように語っています。
 「過去を元に戻すことは出来ないし、克服することは実際には出来ない。しかし、歴史から、わが国の最悪の恥辱の時代からわれわれは学ぶことができる。不法と暴力、反ユダヤ主義、人種主義、外国人排斥がわが国で再び好機を得るようなことは決して許さない。ナチスの時代、そして戦争と民族虐殺と犯罪を胸に刻むことは私たちの国民的アイデンティティの一部となっている」

 イタリアのチャンピ大統領は、ミラノで開かれたファシズムからの解放60周年記念集会で「戦争や悲劇の記憶、自由の為に命を落とした人々の記憶を、決して失ってはならない」と述べています。

 先の戦争に反対して特高警察に拘束され命を奪われた人は、作家の小林多喜二のことは知られていますが多くは知られていないと思います。
 いま進行中のNHKドラマでの登場人物のセリフは、日中戦争から太平洋戦争までのものとしては既に「禁句」となっていたものがかなり登場しています。いまでは普通に交わされていると思われる会話さえ、事実としては抑圧されていた事を語り伝える必要があるのではないでしょうか。

 軍国主義というのは、国民の「内心の自由」を認めないことによって存在しうるものと思います。その意味では、東京都教育委員会などの「君が代を歌わない教師に対する処分」は内心の自由の侵犯だと思います。また、今年になってから遊就館が都内の小中学校に、「見学を誘う」ポスターを送りつけているそうですが、子どもたちに「遊就館を見学させる」ことは、先の戦争を肯定するという歴史教育の変化を狙うものといえます

 宰相が過去の戦争を反省をしないということの結果、防衛庁長官を先頭に野党までが「敵基地攻撃」で軍事的対決では「相手を抑圧しなければ日本の平和と安全が守れない」という危険な方向への誘導が始まっていると思います。

 次回に「平和を守るためには軍備が必要だ」という考え方について考えてみましょう。(あきさん)

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2006年5月15日 (月)

「母の日」って世界中にあるのかな?

ワシントンからの母の日ニュースレター

 私は「母の日」がいつからあるのか、なんであるのかも知らないですごして来たから、日本の商業資本のアイデアで、「売り上げ増を狙う企画」だとしか思わなかった。3月生まれの母親へ5月にカーネーションをプレゼントした記憶はないから親不孝ものでしょうか。

 昨日のアメリカから届いたニュースレターで、「ワシントンに全米から『ママは戦争に反対です』という、コードピンク(反戦女性団体)が呼びかけた母の日の行動に集まった」 という記事がありました。13日15時から24時間の行動だったようで、ホワイトハウス南側のエリプス広場では、MOM  SAYS  NO  WAR  の人文字も描かれたそうです。

 夜のステージで、1870年にアメリカの社会運動家ジュリア・ワード・ハウが起草したという「母の日宣言が読み上げられたそうです。アメリカの母の日は、もともと平和を呼びかける日として提唱されたそうで、朗読された宣言は「立ち上がれ、心あるすべての女性たち。・・・武器を捨てよ。人殺しの剣は正義を測る天秤にあらず」というものだったそうです。

 最近日本でも知られている、息子をイラクで亡くしたシンディ・シーハンさんもステージからホワイトハウスに向かって「あなた方に、もう私たちの子どもを取上げさせない。私たちもあなた方のこどもには手を出さない。もし徴兵制を復活するなら私たちは子どもを隠してしまいます」と訴えたそうです。

 なるほど、アメリカでは「母にカーネーションを送るだけの日ではなかった」のですね。日本でも同じような試みがあったのでしょうが、テレビはもちろん新聞で紹介されたものはなかったようです。ご存知の方がおりましたら教えてください。(あきさん)

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