2006年5月12日 (金)

ついに本音がでましたね

やはり靖国参拝は「心の問題」ではなく「政治の問題」と、本音を吐露

 「財界からも、商売のことを考えて(参拝に)行ってくれるな、という声もたくさんあったが、それと政治の問題は別だとはっきり断っている」(小泉首相)

 首相がいままで「一国民として参拝している」と釈明しても、国民はもとより中国や韓国の人々は「国を代表する人の政治的意思表示」を見ていました。だからそれらの国からは「首相の靖国参拝だけを批判」したのでしょう。

 「商売」、「商売人」を見下したような、「政治は高度なもの」という感覚で、『商売と政治は別』というのは二つの点でおかしいと思います。

 一つは、「商売は売る人と買う人の信頼感がなければ安定した継続はできないのです。「儲けることだけしか考えない」商人がいんちきなものを作って、売れば2度目は売れません。商店に対する信頼は消費者が一番重視しています。
 二つ目は「経済同友会の提言」を読むと、財界人の「商売のために」という内容ではないでしょう。「過去の反省と相互理解に基づく『未来志向の新日中関係』を作るための提言をしているのです。

 もちろん経済界でも利潤のために犯罪的行為をする企業があり、政治と行政(官庁)がそれを守ってきた事例はたくさんあります。水俣病の原因を作ったチッソ。その有機水銀排水を垂れ流し続けたのを止めなかった厚生省と族議員の役割。いまだに救済されない被害者がいるのは「政治に反省がない」からです。
 国民から消費税を取り立てて大企業の税負担を軽減することや、利益をあげるためのさまざまな規制緩和。
 それらを実施するのは政治献金と言う名の賄賂が付いてくるからホイホイと実施するのでしょうか。

 日中と日韓は、日本の過去の反省(侵略と植民地化)を前提とした、信頼関係を作ってこそ、相互理解の段階に進むことができます。それを阻止しているのは小泉政権の政治です。
 友好関係ではなく、仮想敵のような「脅威論」で、「脅威に対抗するには日米軍事同盟を強化して、その力を見せつける」という対外政策をとっています。もちろんこの路線は日本の主導ではなくアメリカの政策に引きずられているのですが。

 日米安保体制から脱して、アジアの平和と友好に切り替える道しかないことを考えさせた首相の本音でした。(あきさん)

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2006年5月 6日 (土)

小泉首相は、ついに「表現の自由」だといい始めたのですが

首相は、「靖国神社参拝は、心の問題」、「表現の自由だ」と言いますが

 小泉首相が「心の問題」と言ったとき、私は考えました。「かつて侵略された側の心の問題も考えるべきではないか」 と。 最近では「表現の自由だ」と言っているので、どう反論しようか、と考えていたら、東大教授の髙橋哲哉さんが説明してくれました。

 「靖国神社は日本が帝国の時代に、侵略戦争と植民地支配を正当化する装置でったから、植民地にされた韓国や侵略された中国が、それを賛美する靖国に首相が参拝することに反発するのは当然です」と。

 また「戦後60年を過ぎて、中国や韓国に負い目を持たない世代が日本社会の多数派になっている」、 「帝国の時代を知る人たちと違って、若い世代は日本にたいする中国や韓国の批判が居丈高で日本が頭を下げるのは卑屈だと感じる」
 「靖国神社は『英霊』の慰霊・顕彰を行なうための施設です。天皇のために命をささげた兵士の霊が慰められるのは、その功績を最大限にたたえることによってです」

 「追悼は悲しみを共有する行為であって、そこから生まれるのは二度と繰り返したくないという感情です。顕彰はほめたたえる行為であって、『私たちも後に続きますから』という感情につながります。追悼と顕彰は異質な行為なのです。(首相が)追悼のために靖国へ行くというのは、行く場所を間違えているのです」

 哲学者の説明は分かりやすい。中国や韓国が批判するからというだけでなく、戦前と戦後の区別、つまりあの戦争を反省して考えるかどうかなのですね。
 「小泉首相が2003年12月イラクへ閣議決定したときの記者会見で『日本国民の精神が試されている』といい、直後の翌年1月1日に靖国神社に参拝したのは象徴的でした。日本の軍事化を支える国民意識を作るために靖国神社ほどふさわしい場所はないのです」・・・なるほど。

 首相は「表現の自由」といいましたが、高橋さんは「何を表現しようとしているか」を鋭く解明してくれました。 ああ、これですっきりしました(あきさん)

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