2007年7月 8日 (日)

なぜ反省のない「自虐史観」が出没するか

日本人の手で本当の戦争責任を明らかにしなかったからではないか

 ゴーマンを売り物にする漫画家だけでなく、何人もの、しかも自民党所属だけでなく民主党など野党の政治家の中からも出ると言うのはどうしてなのか、考えてみよう。

 自虐史観論を主張する人の年齢をみると、戦後世代が圧倒的に多い。伝聞情報だけでそう判断すると言うのは、あの侵略戦争が敗北に終わったときにきちんとした反省をする態勢が作れず、国民レベルでの検討と決着をつけていないことに大きな原因があると思う。

 戦前の大日本帝国憲法は天皇に主権があり、統治権を総攬し、第11条で陸海軍を統帥していた天皇が戦争開始の責任を負っていた。ところが、戦後日本を占領したアメリカが天皇の責任を免除する政策を取っただけでなく、臣民とされた国民意識の中にも、天皇の戦争責任を問う声が起こらない状況があった。

 新憲法前文も 「政府の行為によって再び戦争の惨禍がおこることのないようにすることを決意する」という主語が不明確なままで反省と謝罪を示す叙述はない。
 それは、この憲法が、「大日本帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た改正」として、「侵略戦争の責任者の御名御璽」のもとに交付され、最高責任者が引き続き国民統合のシンボルと位置づけられている不徹底さを持っているからである。

 「忍びがたきを偲んだ」だけで、侵略戦争の責任を反省し謝罪しなかったことが、その後の政治の中枢に戦争犯罪を問われるべき人物が返り咲く根拠となったように思える。

 繰り返される「自虐史観」論は、責任者が謝罪していないのだから、「臣民だったもの」は反省も謝罪の必要もない・・・という意識の現われではないか。

 次世代の教育からも、南京事件や、従軍慰安婦、集団自決などが消されて、あたかも「なかった」ように宣伝する復古派の意図は恐ろしい。(あきさん)

 

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2006年7月18日 (火)

チベッ子さん懇切なコメントを有難う

「侵略戦争であったことを認め、アジア諸国に正式に謝罪した」

 私には「首相の謝罪」が「ポーズ」でしかないと見えるのですが。小泉純一郎さんは、内心では「日本が犯した侵略戦争という罪」について、「過ちと認めて謝ってはいない」ようにみえるのです。

 真摯に謝罪しているなら、「中国が反対するから参拝しない」のではなく、「侵略戦争を推進する精神的な拠りどころ」であった靖国に参拝することはないと考えます。

 つまり「国の命令で命を落とした国民が、英霊としてたたえられている」ところを参拝するということであって、これでは「侵略戦争の反省」ということが「外交の上での言辞にすぎない」ということになりませんか。

 内心のことですから外見的行為を伴なわなければ、誰にも気がつかれないのです。行政権力のトップでなければ個人の内心を批判されることはないでしょう。宰相の立場は「個人的行為」の範囲が狭いのはチベッ子さんも同意されると思うのですが。

 「公的参拝じゃなくて私的参拝であれば」ということですが、小泉家の墓参なら「私的行為」は間違いないでしょうが、先の戦争を賛美している靖国へ総理大臣が参拝に行くのは、「公的謝罪を覆す行為」となるでしょう。

 国民の「内心の自由」は広くみとめらるべきでしょう。再び戦争をしようと考えて参拝している人もいるでしょう。単に戦没者をしのぶ意識で参拝している人もいるでしょう。
 国民の多くは「あの戦争は侵略戦争であった」と語り継がれていませんから戦死者に手を合わせるつもりの方も多いかもしれません。

 誰が靖国参拝しても、それが侵略戦争否定だと言ってはいないのですが。行政権を持つもの、立法権に関与する国会議員は『私的行為』とはならないと言っているのです。

あとはまた明日書きます。ありがとう。(あきさん)

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